2012/08/24

新疆ユルドゥズ草原調査

思い立って11ヶ月ぶりの更新です。
科研費「シルクロード東部の文字資料と遺跡の調査」(基盤研究A)により,中国新疆ウイグル自治区のユルドゥズ草原の調査。
荒川正晴先生を隊長に,高橋照彦先生,白玉冬さん,坂尻彰宏さん,赤木崇敏さん,鈴木宏節さん,齊藤茂雄さん,西田祐子さん,木嶋咲子さんという面々。

・2012/8/12
Img_0638早朝に関西空港集合,CA162便で北京へ。ひさびさにブリッジ付け。ウルムチ行きCA1291便に乗継ぐ途中で,華北の調査に向かわれる澤本光弘さんと邂逅。T2発便への乗継ぎとのことだったが,大丈夫だったのだろうか。
ウルムチ便はほぼ定刻に出発。天山北麓上空からはバルクル湖も見えた。ウルムチ到着後,現地ガイドの郝氏の出迎えをうけ,宿舎のボグダ賓館へ。しかしウルムチ市内の渋滞には驚く。

・2012/8/13
Cimg1766月曜日で博物館が休館のため,午前はまず紅山公園からウルムチ市内を鳥瞰。
その後,いつもトゥルファンに行く際に横目で通過するだけの烏拉泊城址を参観。城内の墓葬は元代らしい。
ウルムチに戻って昼食ののち,夕方に新疆文物考古研を訪問して于志勇先生と会見。さらに資料展示室を参観。2年前の「西域高踏論壇」のエクスカーションで訪問した際から格段に改装され,またアルタイをはじめとする諸処での最近の新出資料を瞥見。サカの黄金製品など。撮影禁止なのは致し方ないが残念。

・2012/8/14
Img_0662午前は新疆博物館を見学。常設展は数年来ほとんど変更無し。併設の特別展は内モンゴル博物院のモンゴル時代の文物の展示。一昨年はフフホト文物考古所の資料室で見学するだけだった至元鈔の写真が撮れたのは幸運。
午後,ウルムチを発ち,トクスンを経由して和静へ。トクスン以南は私にとっては初体験。ウルムチ〜トゥルファン〜トクスン間の風力発電設備は年々拡充されている様子。車も吹っ飛ぶほどの強風地帯を利用しない手はあるまい。
20:00,和静東帰賓館到着。特別の許可が無いと,外国人は和静には泊まれないらしい。

・2012/8/15
Cimg2051和静を出発してユルドゥズ草原へ向かう。宿所となるバインブラクまでは320kmの道程。
まずは和静から烏拉斯台河を北に遡って小ユルドゥズ(Baga-Yulduz)草原に入る。道路沿いの漢族料理店で昼食。
昼食後,バインブラクまでの道路が閉鎖されているため,クネース河の渓谷地帯からナラティを経由するルートへ。チャガタイ=ウルスの根拠地でもあったクネースを望見できたのはむしろ僥倖。
バインブラクの白天鵝賓館に到着。

・2012/8/16
Cimg1999午前は,大ユルドゥズ草原を南西に向かって天山に入る手前まで,草原の状況を検分。東西南北を山に囲まれたこの草原では,春夏秋冬にわたって遊牧が可能であり,天山以南に越冬する必要がないとされる。新疆出身のガイドの郝氏によれば,十年前にはもっと背が高い草が密生する重草原だったという。現地の牧民ともコンタクト。モンゴル族でウイグル語は少々解るものの,漢語はわからないそう。一旦ホテルへ戻る途上,突厥時代のものとされる石人も実見。西側にはマウンドもあるが,バルバルらしいものは見当たらない。
ホテルに戻って昼食後,午後はユルドゥズ草原と開都河を一望できる「九曲十八湾」へ。この草原がトルコ語で「星 (Yulduz)」と名付けられたのは,草原に広がる沼沢が陽光をうけて星のようにみえることから。NHK「新シルクロード」で放映されたようなシーンを撮るのは無理だが,白鳥も飛んでいたりで,それなりの景観。観光客も多数来ていた。

・2012/8/17
朝,バインブラクから往路を引き返して和静へ。ユルドゥズからのナラティへ北上する峠では,急峻な崖沿いにも牛・羊を放牧する牧民あり。クネースの渓谷地帯も再通過。夕方,再び和静東帰賓館に。

・20128/18
Cimg2104朝,和静を発って焉耆へ向かう。途上,まずは唐代の焉耆唐王城とされる遺址を見学。といっても,遺構と呼ぶことすら難しいほんのわずかの城壁を除いて,ほとんど何も残っていない。
続いてシクシン遺跡へ。この遺跡も仏教壁画で有名。いくつかは東洋文庫DSRの公開データでみることができる。しかし今では,巨大な仏寺遺構が現存しているにもかかわらず,壁画類はほとんど何も残っておらず,遺構内へ入ることもできないとのこと。
午後はボスタン湖を見学するため,焉耆から9km南方の博湖県へ。ガイドの郝氏の同級生で,現在同県の農業関係の要職にある浦氏を交えて昼食,焉耆地方の農業情報をご教示いただく。その後,まずは開都河がボスタン湖に流れ込む地点,さらにボスタン湖から孔雀河が流れ出す地点を見学。夕方,焉耆のガジル飯店へ。ラマダン中でラストランも休業,明日朝の朝食も無し。郝氏のはからいでルームサービスになるという。

・2012/8/19
焉耆を発ち,高速道路でウルムチへ。焉耆周辺のオアシスは,開都河の水流で実に豊か。夕刻,ウルムチのボグダ賓館に帰投。

・2012/8/20
Img_0665早朝,ウルムチ空港からCA1296便で北京へ。乗継ぎ時のチェックインも不要となっており,スムースに出国・セキュリティチェックを通過。
関空行きCA161便のゲートでは,モンゴル国〜洛陽の調査を終えて帰国される村岡倫先生と邂逅。
予定通り15:55に搭乗開始。しかし,本来16:25離陸の予定が,北京〜大阪間の空路の天候が不調ということで遅れまくり。いったん駐機場に戻って機内食のサービスまで始まる。あまりの遅れに近所のフランス人は猛抗議し,ビジネスクラスに席替えしてもらったらしい。さすが欧米人はタフネゴシエータだ(日本の外務省も見習って欲しい)。その間,村岡先生からは,新出のウイグル語岸壁銘文の写真を見せていただく。これは珍しい。
21:00,4時間30分遅れで離陸。
深夜0:30,4時間遅れで関空到着,全員ぐったりして解散。

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2011/03/28

イスタンブル出張(第2日〜第6日)

3月21日(月)
13:00,イスタンブル大へ。幸いにも門衛の警官が顔を覚えていてくれたので,パスポートを預けることなく構内へ。コルクマズ先生, タバクラル先生と再会。地震と原発について心配される。今日はセルトカヤ先生は所用で来れなくなったとのこと。
14:30,ユルドゥズ工科大学のオルメズ先生から連絡をいただいたので,地下鉄で Davutpaşa のキャンパスへ。
16:00,オルメズ先生の研究室を訪問。種々情報を交換する。Türk Runik Bibliyografyası (2010), Trans-Turkic Studies Festschrift in Honour of Marcel Erdal (2010) を拝領。市庁舎近くのウイグル料理レストランで夕食もご馳走になってしまった。

3月22日(火)
12:15,イスタンブル大へ。1年ぶりにセルトカヤ先生にお目もじする。今年度以降の協同研究の進め方について相談する。今日も2コマ授業があり,あまり時間がとれないとのこと。また,先生の令夫人で昨年に正式に教授になられたアイシェ先生にもご挨拶。
16:00,辞去。MVT書店で巻狩り。東京のY.T.さんやK.S.さんもこちらに出入りされているらしく,どっさりお買い上げのパケットを拝見した。

3月23日(水)
10:30,イスタンブル大へ。資料64件を調査。昨年にお世話になったエメク=ウシェンメズ氏に再拝。現在キュタヒヤ大学に移られたとのこと。
16:00,なぜかセルトカヤ先生の大学院演習に参加。Maitrisimit を講読していた。

3月24日(木)
11:00,イスタンブル大へ。資料23件を調査。

3月25日(金)
13:00,イスタンブル大へ。今後の協同研究の進め方について,さらに打ち合わせ。スレイマニエ=モスク近くのレストランで昼食をご馳走になる。16:00,大学院の演習があるため,ここで今回は辞去。再拝を期す。
若干のお土産をしばいた後,ホテルで入浴。
19:45,メトロで空港へ。20:30,空港着。チェックイン,出国。息子にお土産の飛行機を購う。BA・KLMはあるのにトルコ航空が無い不思議。
23:30,関空行きTK46便に搭乗。観光客も少なくない。
24:20,離陸。

3月26日(土)
17:55,ほぼ定刻通り関空着。

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2011/03/21

イスタンブル出張(第0日・第1日)

昨年の在外研究での主要課題であるベルリン旧蔵ウイグル語文書写真資料の研究のため,イスタンブルへ出張。震災をうけてキャンセルするかギリギリまで悩んだものの,弘前では食糧・燃料が不足している状況でもあり,帰国までに復旧することを念じつつ決行することに。

3月19日(土)
阪大で開催された遼金西夏史研究会大会を傍聴。震災後にもかかわらず,参加者多数。大会後の懇親会もとい情報交換会は大広間がぎちぎちだった。震災でご本人・関係者が被害を受けられた方々にお見舞い。二次会は失礼して,大阪空港隣のホテルに宿泊。

3月20日(日)
6:30,伊丹空港へ。成田行のNH2176便,および成田で乗り継ぐイスタンブル行TK51便にチェックイン。
7:55,離陸。ANAの利用は8年ぶりくらいか。ボーイング777の余裕ある座席ピッチも快適だった。とはいえ,ANAは10年ほど前に青森から撤退した。JALをサゲてANAをアゲる人も多いが,ANAが地方路線を切り捨てていることを棚に上げているという点では支持できない。
9:15,成田空港第1ターミナル着。TAXI中,退役したJALの747型機が駐機しているのをいくつも見かける。これを使って,震災の被災者を九州や四国など暖かい地方へ運んであげることはできないのであろうか,などと考える。
震災の影響で帰国便を変更したため,一旦カウンターに出てトルコ航空のオフィスに訂正版のEチケットの手配を依頼。遅い朝食ののち,出国。免税店でお土産を調達。
12:30,34番ゲート前に。すぐ近くにNTTが無料の無線LANアクセスポイントを設置しており,メールなどをチェックできた。成田・羽田は関空と違って無線LANへの接続がプロバイダとの契約だの有料だのとややこしいので,これは有難い設備。とはいえ,数m離れただけで接続できなくなってしまう。ほぼ全エリアで無料アクセスを実現しているソウル仁川に比べ,ビジネスマンにとってのハブ空港として,設備上でずいぶん遅れをとっている印象。ペテルブルクのプールコヴォ空港でさえフリー無線LANが走っているというのに。
トルコ航空からのアナウンスで,今回のTK51便はソウル経由,イスタンブル到着は当初予定から2時間遅れて22:30になるという。これも地震の影響(ガソリン不足と,乗務員の宿泊施設)の影響らしい。
14:50,搭乗開始。15:20,離陸。
17:36,ソウル仁川空港に到着。再出発まで1時間,機外に出ることは不許可。にもかかわらず,日本語アナウンスは,全く関係のないイスタンブルでの国内線乗継ぎについて説明していた。日本人CAを解雇したため,マニュアルの文章を意味もわからずに読んでいるのだろうが,こんな的外れのアナウンスが来るのは,万一の緊急事態を考えると心配になる。英語もトルコ語も解さない日本人乗客とくに年配のおばちゃん数名が,待機の事情がわからず不平たらたらだった。
18:15,仁川を離陸。ソウルからは日本語を解するCAが搭乗した模様。ようやく食事とアルコールがサーブされる。
23:20,イスタンブル・アタテュルク国際空港到着。しかし放射能検査のため,ブリッジには横付けされず,また降機までえらく待たされる。バスでターミナルへ向かい,入国審査を経て荷物をピックアップ。日本の震災の救援任務からトルコに戻った赤新月社のレスキュー隊員を見かけたので,ささやかながら一言お礼を申し上げておいた。免税店で買い物。店員から日本の地震についてお見舞いの言葉をもらう。
0:30,タクシーで市内のホテルへ。この運転手さんからも,やはり日本へのお見舞い。トルコの親日国ぶりを実感する。1:00,ホテル到着。日本で朝を迎えた家族と連絡ののち,就寝。

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2011/02/14

サンクトペテルブルク出張(第8日・第9日)

2011年2月13日(日)
8:00,さらに1週間調査を継続される佐藤さんに見送られつつ,タクシーでホテルを出発。
8:45,プールコヴォ空港着。しかし,先般のモスクワでの爆弾テロをうけてか,空港の入口でのセキュリティチェックの行列。15分程で通過し,カフェで一息つく。
9:45,今度はチェックインカウンターに入るための行列に並ぶ。
10:30,フィンランド航空のチェックイン開始。しかし,私のチケットはカウンターではなく,航空会社のブースでなければ変更できないという。あわててセキュリティエリアを出て,2Fのブースに向かう。手続を終えた頃には,セキュリティ行列は消えていた。特定の時間帯が異常に混み合うらしい。
11:00,無事に出国。コーラで乾杯。
11:50,搭乗ゲートで3度目のセキュリティチェック。厚着の冬場では,いちいちコートまで脱ぐのが本当に面倒。
Img_016211:55,搭乗開始。12:30頃,離陸。
12:30頃,ヘルシンキ着陸。またまた乗継便のセキュリティチェックを経て,カフェで昼食。交替で免税店などを物色。
15:30頃,我々と入れ替わりにペテルブルクで調査される坂尻彰宏さん・岩本篤志さん・赤木崇敏さん・伊藤一馬さんの一隊が関空から到着,合流。情報交換。
16:45,私と荒川さんは成田行きAY73便のゲートへ,齊藤さんは関空便へ。16:55,搭乗開始。ヨーロッパの諸処からの乗継ぎで帰国すると思しき日本人観光客で満員。
17:25,定刻通り離陸。

2011年2月14日(月)
10:05,成田着陸。幸いにも入国審査・荷物ピックアップはスムースに進む。
10:35,荒川さんと別れ,青森へ帰るためにリムジンバスで都心へ。

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2011/02/13

サンクトペテルブルク出張(第7日)

2011年2月12日(土)
10:00,ホテル出発。今朝はマイナス18℃。まずは昨日 Popova 先生からご教示いただいた,ロシア人類学博物館の展覧会へ。博物館の広さと豊富な人類学・民族学資料に感嘆。
ファストフード店で昼食の後,古書店2軒をめぐるが,やはりめぼしいものは少ない。T. Pang, Man'chzhurskie pis'mennye pamiatniki po istorii i kul'ture imperii Cin XVII–XVIII vv, SPB, 2006のみ。
17:30,夕食はドイツ料理の Chajka で。
19:00,徒歩でホテルへ。20:00,ホテル着,付設のバーで軽く飲み直す。生の黒ビールが美味。ポーランド産だろうか。21:00,解散。

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2011/02/12

サンクトペテルブルク出張(第6日)

2011年2月11日(金)
9:30,ホテル出発。今朝の気温はマイナス12℃,さすがに寒いと感じる。
10:10,到着。当初は土曜日までの作業を予定していたが,係員の都合もあって土曜日は閲覧室閉室となり,従って本日が調査の最終日となる。
P211107913:00,ポポワ先生のお招きをいただき,所長室でティータイム,種々の学問的情報をうかがう。この間に新たにモスクワからエルミタージュに移ってきたというトゥルファン文物や,ペテルブルクの諸機関から発行される雑誌について。
14:45,調査再開。
17:00,撤収。最後にポポワ先生にご挨拶,再拝を期す。
ホテル周辺の各レストランは金曜の夕方ということでいずれも満席。やむなく,連日で中華料理店に。しかしヴァイスビアーは美味しかった。

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2011/02/11

サンクトペテルブルク出張(第5日)

2011年2月10日(木)
7:00,起床。9:35,出発。
10:10,研究所着。Tugusheva 先生の AOH (1971) 論文で有名な SI 2Kr 17 (→ SI 3791) を実見。
また,拙稿で扱った SI Kr I 149 (→ SI 4234) を再検討。人名だけは若干訂正すべきという判断に。
13:00,Kychanov 先生のお招きをいただき,食パン・ハム・紅茶の簡単なランチにあずかりつつ,研究所の昔日の状況や,最近の西夏学研究の動向などを拝聴。
17:00,撤収。ホテル近くの中華料理店で夕食。20:00,ホテルへ帰着。

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2011/02/10

サンクトペテルブルク出張(第4日)

2011年2月9日(水)
8:30,朝食。
9:40,徒歩でホテルを出発。10:15,研究所到着。
今日の文献出納担当は Kirill Bogdanov 先生。
Matsui 2006, Six contracts ... で使った 4bKr 223 (→ SI 4095) を初めて実見,幸いにも契約文書のテキストは拙稿のもので間違いなかったが,ウラ面の書簡のほうはやや訂正すべき箇所あり。
16:30,研究所を撤収し,ペテルブルク大学内の書店へ向かう。ただし,前週に某先生が当地入りされていたためか,V. A. Livšic, Sogdijskaja epigrafika Srednej Azii i Semirech'ja, SPB, 2008 以外にはめぼしいものはなかった。
18:00,インド料理「タンドール」で夕食。ここを訪れるのは10年ぶりだろうか。荒川さんによれば,その間に経営者は何度か交替しているらしい。ちなみに昨年と比べても値段が上がっているとのこと。
19:50,帰路に。20:45,ホテル到着,就寝。

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2011/02/09

サンクトペテルブルク出張(第3日)

2011年2月8日(火)
8:30,朝食。
9:30,徒歩でホテルを出発。10:10,研究所到着。
10:30,作業開始。
17:00,撤収。今夕は Popova先生,Kychanov 先生を宴席にご招待するため,両先生のお仕事完了までロビーで待機。
17:30,両先生とともに研究所を出立,Popova 先生のご案内でネフスキー大通りに近いレストランへ。シャシリクなどを堪能しつつ,今秋予定中の吐魯番学会や来年の国際学会についての情報を交換。ちなみに Popova 先生によれば,現在ウイグル語文献につけられている4桁番号は,文献室での検索のためのものなので,論文引用には旧来の Kr 番号も必ずしも無効ではないとのこと。
20:00,解散。21:00,ホテル到着,就寝。

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2011/02/08

サンクトペテルブルク出張(第2日)

2011年2月7日(月)
7:00,起床。8:30,朝食。
10:15,ホテル受付でパスポートを返してもらう(手数料100RB)。手持ちの米ドルを両替した後,徒歩で東洋文献研究所へ向かう。今朝の気温はマイナス7℃程度,弘前並みなのでそれほど寒さは感じない。
11:00頃,研究所到着。入口でちょうど Kychanov 先生にお会いしたおかげで,無用の誰何を避けて所内へ。まずは所長室へ向かい,Popova 先生にご挨拶,拙稿抽印や日本のお土産などを謹呈。1週間の調査の次第などを取り決める。2009年敦煌学会の Proceedings は現在鋭意編集中だが,特に図版を使う論文が多いため,追加の出版費用を捻出する計画とのこと。投稿した拙稿を校正するよう指示される。所長室を辞去したところで,Klyashtornyj 先生にもお目もじ。
12:30,2Fの文献閲覧室で仕事開始。出納担当者は Amalia Zhukovskaya 先生。現在,研究所所蔵のウイグル語文献には,かつての Kr(otokov) 番号にかわり,新たな4桁の整理番号がつけられている。
SI Kr IV 256 (inv. 1952g 3002) → SI 1783 (Inv. 1783)
SI Kr IV 604 (Inv. 1952g 3352) → SI 3131 (Inv. 3138)
16:55,撤収。徒歩でホテルへ戻る。
18:00,ホテル近郊のロシアレストランで食事。
20:00頃,ホテル帰着,就寝。

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