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2009/09/05

ペテルブルク国際敦煌学研討会(第2日)

2009年9月4日(金)
7:30,起床,朝食.このホテルのファシリティーはさすがに古いが,食事はなかなかに充実.中国と逆だなあと感じる.
8:45,バスで研究所へ.
9:30,今日もまずは階下のセッションから.司会はツィーメ先生.
IWAO Kazushi: The Purpose of the Sutras Copying in Dunhuang under the Tibetan Rule.
敦煌以外の地域に送る目的での写経の存在を識語から解明.ロンドンで2年の在外研究に従事されただけあって,岩尾さんは英語での報告や討論もなめらかにこなされる.不勉強な私は「こういうことを言いたいときにはこういう単語や表現を使うのか〜」と感服.
顔廷亮「關于吐蕃占領時期敦煌文学的新思考」

10:00,学会を中座して,周伯戡・聶鴻音・孫伯君・鄧文寛・杜建録・孟嗣徽・王培培ら,カラホト・西夏学関係の諸先生とエルミータジュ博物館へ向かう.さらに,エルミタージュ所蔵の敦煌壁画の観覧をご希望の山部能宜先生ともご一緒することに.道すがら,聶鴻音・孫伯君両先生とは2年前の遼金西夏史研究会でお目もじしていたことを思い出す.孫先生はきれいなパーマをあてて髪型を変えておられた.実は両先生とも英語がご堪能だった.
10:30,スタッフ用玄関でサモスユク先生のお迎えを受ける.エルミタージュは8年ぶり.サモスユク先生の研究室までの経路で一通りの展示を観覧.
11:00,サモスユク先生のお部屋でカラホト出土の絹曼荼羅を拝見.さすがに西夏研究者諸氏は食い入る如くで,割り込むすきがなかった(笑)その後,ベゼクリク・トヨク・シクシンからの壁画断片の一般展示コーナーへ.8年前に来たときにはある事件が起き,ゆっくり見られなかったのだった(泣)トヨクの壁画断片について山部先生のご解説を頂戴.ついで敦煌壁画.山部先生は明日の報告で扱う予定のエルミータジュ所蔵壁画をまだ実見調査されてはいなかったとのことで,これまた思わぬ僥倖を得た由.
ふたたびサモスユク先生の研究室に戻り,エルミタージュの敦煌トゥルファン関係の近刊出版物について情報交換.先般京都に来ていたシルクロード展のロシア語版カタログ(昨年末から今春まで開催されていたもの)を購う.中国美術部の学芸員Maria Menshikova女史(故メンシコフ先生のご令嬢)のご協力を得て,後輩のAさんからの依頼を果たす.ちなみにMenshikova女史とも8年ぶりの再会.
13:00,いったん昼食に戻る.今日は高田先生はじめ日本人集団のテーブルへ.玄幸子先生に拝眉の機会を得る.

14:30,若干遅れてセッションに復帰.この日の午後のセッションからは,すべて2階のGreen Hallでの統一セッションとなる.
吳麗娛「試述唐代地方機構行用的狀」
興味深いテーマなのだが,ペーパーもパワポもないのでフォローできなかった(プロジェクタにはWord原稿が投影されてはいたのだが)
NAGATA Tomoyuki: The comparison of the shu-yi 書儀 texts with the material of ancient Japan
永田さんは実際には中国語でご報告.日本と中世中国の双方に幅広く目を配られていて,門外漢ながら興味深く拝聴.
高啓安「敦煌文獻中羊的稱謂研究 ——以“羖羊”為中心」
これも粘っこい文献研究.漢文文書でも,辞書ではなく諸文献の用例を集めて論じなければならぬということ.
16:00–16:30,休憩.

16:30,再開.
SAKAJIRI Akihiro: The Relationship between Upland Nomads and Oases Sedentary People as Seen from Dunhuang Manuscripts
南山部落と帰義軍政府との関係.
WANG Ding: Chinese People with Barbarian Names.
新たにソグド語名をもつ漢人を諸文献から抽出.
XU Quansheng – Families from Central Asia and Villages in Gaochang: Some Notes on the Newly Discovered Turfan Documents
鄭炳林「唐玄奘西行路線與瓜州伊吾道有関問題考察」
当初は「晚唐五代宋初河西地区羌胡交往考」という題目だったが,変更された.玄奘の交通路に関わる諸種の記録や先学の地理比定を,現地踏査に基づいて再考したもの.我々も一昨年にハミ〜敦煌を1日かけて走破したが,歴史地理的な問題の考察には,じっくり日数をかけて現地を見なければならないということを実感.
AKAGI Takatoshi: The Matrimonial Diplomacy and the Lineage of Cao Family of the 10th Century in Dunhuang
赤木さんも昨春の遼金西夏史研究会での報告に基づくもの.「ウイグル派」と「コータン派」の問題が,中国の敦煌研究者たちにどのようにうけとめられるだろうか.

18:30,研究所すぐそばのレストラン「千夜一夜」で宴会.このウズベキスタン料理店は,はじめてペテルブルクに来たときに荒川慎太郎先生と出かけた記憶がある.その時はおひねりを求めるベリーダンサーに若干ひいたものだった.今回はそのようなことはなく,料理を十分に堪能.
京都に滞在中の余欣先生と1年半ぶりに再拝,報告のハンドアウトを差し上げる(なにしろ余欣先生には『神道人心』というご著書がある).高田先生からは,敦煌学の現況とともに,中国・パリの関係者の四方山話を拝聴.ポポワ先生にあらためてご挨拶し(私のことを DAI Ma-Tsui という中国人と誤解されていた),ペテルブルク所蔵文献の公刊申請に関して大まかなアドヴァイスをいただく.
20:45,散会,バスでホテルへ戻る.最後尾の座席に陣取ったところ,天上から雨漏り.隣のラシュマン先生とともに上着を汚してしまった.
21:00,ホテル着,手早く着替えて,ラシュマン先生・ダーキン先生・笠井女史とビールを傾ける.ラシュマン先生とは共同研究の進め方を相談し,おもむろに四方山話.ラシュマン先生は●年前の高校時代,ロシア語の現地研修のためこのホテルに宿泊されたとか.子育ての難しさという話題に.未婚(のはず)の笠井さんが妙に詳しいのに驚く(笑)
22:30,解散,就寝.

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